理系大学生の日常

理系大学生の生活の中で、感じたことや考えたことを書いていこうと思います。

高校の勉強で今でもためになっていること

前書き

 受験生時代は山ほど勉強した。しかし、今ではもうほとんど覚えていない。特に、化学や社会、古典などの知識。

 では、無駄だったのか。一部無駄な部分もあったであろう。やはり興味のないものを無理やり詰め込んでも抜けていってしまう。しかし、今でも(大学生)ためになったと思うものもある。以下でそれらを紹介する。

 

数学に困らない

 世の中には、数学に苦手意識を持っている人が多数いる。彼らの多くは文系に逃げてしまい、人によると数学の勉強をほとんどしないで、受験を終える。一方私は、数学をかなり勉強したので、計算や、考え方、公式などを人より多く知っているので、趣味のプログラミングやゲーム制作をするときに大いに有利に立てる。

 そういうギークっぽいことをやらなければ、関係ないのではと言われれば、それは正しいかもしれない。しかし、何かを始めようとしたときに出鼻をくじかれないのは助かる。物作りや、企画職などをやりたい人は最低限は身に着けた方がいいだろう。

 

 英語の情報を得られる

 ほとんどの日本人は英語が理解できない。単語、文法、文章、どれをとってもチンプンカンプンな人は多い。そういう人は、偶にゲームで英語の文章が出てきて、何だこれ、と思うくらいなのかもしれないが、英語ができることで得られるメリットはより多くの人が享受するべきだと思う。

 私が一番ありがたいと思うのは、世界中の情報について知れることだ。先程も言ったように私はプログラミングやゲーム制作をやっている。その時に、日本語では出てこない情報というのもあるのだ。幸いなことに日本というのは、わりかしそういう情報も豊富にウェブに揃っているが、開発元はほとんど海外の企業であるし、英語がスタンダードなので英語ができることは強みである。

 他にも、趣味のボルダリングのトレーニング方法で、知ってから毎日実践する程の素晴らしい情報にも出会えた。僕が英語に疎くて、英語で検索をしなかったら絶対に出会えなかったので、幸運であった。

 

 最後に

 やはり、勉強したことは、役に立たせる方法はあるのだ。それを生かすも殺すも自分次第であるという見方もあるし、いつか偶然役に立つ場面に出くわすということもあるだろう。

 しかし、逆の見方、即ち、やりたいことがあるから勉強するという考え方の方が自然だし、効率が良いと思う。やりたいことがあったら勉強しよう。勉強は大変だが、素晴らしい。