理系大学生の日常

理系大学生の生活の中で、感じたことや考えたことを書いていこうと思います。

母を真似すれば、誰でも成功できるのではないか

習慣化って意味あるの?

 よく人は、何かを毎日行いたいとき習慣化しようとする。習慣化することで、それを自分にとってやるのが当たり前の状態にして、毎日自然とやるようにするのが目的だ。しかし、習慣化したところで大変なことは大変だ。学習したり、運動したり、家事をしたり、意味のある事は大抵の場合大変である。何か向上しようとするときにはこの大変さを出来るだけ多く乗り越えなければいけない。これに習慣化は、役立っているのだろうか。

 

習慣の本質

 人が習慣的に、すなわち毎日欠かさずに何かをする理由は、決してそれが習慣化されているからではない。そこには何かしらの動機があり、習慣であることはその動機たりえないだろう。人間は、例えば、成功したいだとか、目標を達成したいだとか、そういった動機があって、辛い行動をするのである。はたまた、そういった自己実現のためではなく、他者の存在のために辛い行動をすることもある。他者に頼まれたり、頼られたりすることによって、やらざるを得ない状況に陥り、毎日習慣的にするということだ。

 

母親の習慣

 母親は、習慣的に毎日家事をしてくれる。(母親が家事をするのが当たり前のような書き方をするのは良くないが、母親が多く家事を行うのは一般的だろう。)そこには、なりたい母親像に近づくとか、子供を健やかに育てたいなどの、自己の願望もあるだろう。しかし、多くの動機は他者の存在が占めているだろう。子供や夫など他者のために、自己の労力と時間を犠牲にして、無償で家事をこなしてくれる。この他者の依存に対する強い奉公心こそが習慣を持つための鍵なのではないだろうか。

 

最後に

 最後に習慣化は大抵失敗する。毎日、読書をしよう。毎日、30分勉強しよう。また逆に、毎日禁煙しよう、などと人は自己実現のためのプロセスを習慣化しようとする。それが失敗するのは、その動機が弱いからではないだろうか。その動機を強める方法として、母親を見習うということをしてみてはいかがだろうか。例えば、自分ではなく他の人を喜ばせるために作業したり、SNSでファンを作って、その人たちのために毎日作品を作ったりなどだ。皆さんのこの他者への奉公心をモチベーションとする習慣化が成功することを祈っている。

 

参考にすべき優秀すぎる芸能人とは

優秀さって何

 あなたは他人の何に優秀さを感じるだろうか。勉強ができることか、地頭がいいことか、お金を稼ぐ人か、はたまたゲームが強い人か。この基準は人それぞれあるだろうし、それは当然だ。各々、好みや目標が異なるからだ。しかし、これはある程度具体的な事柄である。私は優秀さについて、これらを纏められるような定義を持っている。それは、「実行力の高さ」だ。

 皆さんも知っているであろう。他人と同じことをして、同じ時間を過ごしているはずなのに、なぜか他人より成長が速かったり、成果を出す人間がいることを。彼らは速く深く、思考し、経験していくので結果を出す。そうして、他人に出来ないことを実行するのだ。

 もしくは、他人が辛かったり、面倒だったりして、やらないことを継続したり、他人とは全く違う発想や手段をもってして、他の多くの人ができないことを実行してしまう人もいる。

  私は、このように多くの人が出来ないことをやってのける人のことを優秀だと思う。そういう意味では芸能人自体ほぼ全員が優秀ということになるが、その中で群を抜いて優秀でかつ、多くのことを語ってくれている人がいる。その人を紹介する。

 

優秀すぎる芸能人は?

 それはずばり武井壮である。武井壮は、中高では勉学で学年1位を取り続けたり、大学3年で始めた十種競技で、僅か2年で日本の頂点まで登り詰めたりと、その優秀さを示した過去がある。彼の理詰めの思考と、非常な努力は彼を優秀たらしめたが、多くの人にとって彼をそっくり真似するというのは少しハードルが高いだろう。やることは分かっているはずなのに、怠けてしまって出来ないこともある。

 しかしだ、彼は今Youtubeライブ配信をしている。そこでは悩めるリスナーたちが多くの質問を投げかけ、彼の回答を聞くことができる。彼の言葉を聞いていると、無性にやる気が湧いてくる。なぜなら彼は努力の達人であり、今も努力しているからだ。是非見てみてほしい。やる気と気づきを得られるはずだ。

 

↓彼のユーチューブチャンネル

https://www.youtube.com/user/so1054/videos

 

 

 

高校の頃しておけば良かったこと

凡庸な人間

 多くの人は、知力と体力を部活動と勉強に使う。部活動は楽しいから、好きなようにやればよいと思う。しかし、勉強は楽しいだろうか。もちろん人によっては好きな科目や事柄を持っている人もいるだろう。数学が好きだとか、小説を読むのが楽しいとか、自分の興味と共通となる勉強もあるだろう。然し、それらを除いて、勉強というのは基本的に受験のための知識の詰め込みであろう。果たして、それは人生において意味を持つのだろうか。

 

では何をするのか

 それは興味・関心があることを突き詰めることだと思う。部活動に好きなだけ打ち込んでもいいし、好きなことだけ勉強してもいいし、読書でも、ゲームでも何だっていいと思う。というか、高校生に限らず、人生において時間がある限り、好きなことや、やりたいことをやるべきだと思う。たとえそれが無駄になっても、本気で打ち込むという行為は人を成長させるはずだ。しかしそこには1つだけ条件がある。マネタイズを考えることだ。

 

そうはいっても

 好きなことばかりやっていたって将来食べていけないじゃないかと思う方が沢山いるだろう。勉強は好きじゃなくたってやっていれば、より良いとされる大学に入れて、より良いとされる企業に入りやすくなる。それは事実だ。

 では、好きなことで食べていけば良いじゃないか。そういう時代はとっくに到来した。

 

マネタイズについて

 自分の好きなこと、たかだか趣味程度のことをお金にするなんて普通無理だと思うだろう。僕の周りの人はほぼ全員無理というだろうし、僕だって確証はない。でもそれは、僕が早い段階から、自分の性格や特徴、人生について、深く考える時間をとってこなかったからだろう。長い時間をかけて、自己分析と興味の追求をし続ければ、その道で食べていくことも難しくないだろう。それに最悪の場合、もしそれが全くお金にならなくても、人を選べば業績を評価し、雇ってくれる人もいるだろう。

 逆に、企業がそういった人材を欲するようになる可能性だってある。好きなことに没頭し、成果をだし、さらにマネタイズする術にも詳しいとなれば、その分野に関しては即戦力だろう。勉強だけしてきた人間よりその時点では優秀だろう。

 

 

 

絶対に身に着けておきたい目的思考とは

目的思考とは

 私が思うに、目的思考といのは、自分が成し遂げたいこと(目的)のために何ができるか(手段)を考えることである。目的、手段が現状の自分にとって何なのか確りと認識することなく漫然と考える人と、目的思考をする人では成長のスピードは大きく異なるだろう。別に目的思考という言葉について意識しなくてもいいが、それがどんなものでどのような考え方をすることか、まずは知っておいていただきたい。

 

目的思考のメリット

 目的思考で考えることのメリットで一番大きいのは、色々な方法を網羅的に考えられることだ。あなたがある目的を持っているとする。その時、何となくそれが実現したらいいなとか、とりあえずお金を稼ごうなどとやっていると、取るべき行動をすべて取れていないだろう。しかし、目的と手段を明確にして、目的のためにあらゆる手段を調べ上げ、試せば、成功に大きくつながるだろう。

 

目的思考の例

 例えば、あなたがゲームを作りたいとする。(まあ、もちろんこのゲームを作ることもお金を稼ぐだったり、他者を喜ばせるだったりの手段であり、それらも他の目的の手段であるのだが)

 その時、まずはそのゲームを作りたいという目的をしっかり定義する。どんなゲームが作りたいのか、また、自分自身で作りたいのか、人と協力して作りたいのか、それとも自分は企画だけで、作るのは他人に任せるのか。

 そしてさらに、その目的に対する手段を考える。どういう技術の習得が必要か、人を雇うならお金がいくら必要で、どこで求人するのか、等々だ。

 そうすると今度は、それらに対して、手段を考える。技術の習得には独学するのか、学校に通うのか、お金を稼ぐためには何をするのか。

 

 このようにして、どんどん目的と手段の定義を深めていくことで、自分のやるべきこと、今やれることが明確になり、効果的に時間や体力、知力を使うことができるようになる。

 

目的と手段の輪廻の果てには

 手段がその下層では目的になっていたが、壮大な夢も、手段を自分が実行可能なまでに落とし込むと、結局は毎日の小さな行動に過ぎない。サッカー選手になって活躍するという目的も、それに対して日々とれる手段は結局のところ、特別なことを除き、毎日の練習だったりケアだったりしかないのだ。

 

他者より秀でるには

 壮大な夢や目的が、誰にでもできることで出来上がっているなら、誰でも実現できるということになる。しかしながら、多くの人はそういった大きなことを成し遂げることができない。

 その原因は、まず夢や目標を持たないからだ。それに関しては、ないのだから仕方がない。それらを持った時にやればよい。然し、夢や目標があるのに達成できる人とできない人の差は何か。それは、ルーティンワークの質と継続だろう。

 ルーティンを、誰かがやっているからとか、効果がありそうだからなどといい加減に決めてこなしている人と、目標から逆算して、その手段としてのルーティンをこなしている人とでは努力の価値が違う。継続に関しては言うまでもない。毎日ルーティンを実行し、反省、現状把握、ルーティンの見直しをしなくては成長しない。

 

最後に

 色々と語ってしまったが、別に夢や目標を持たずに、ただのんびりと暮らすのもいいと思う。しかし、もしあなたが何か成し遂げたいことを持った時に、目的から考え、その手段として日々小さな努力を続けることを願う。

 

高校の勉強で今でもためになっていること

前書き

 受験生時代は山ほど勉強した。しかし、今ではもうほとんど覚えていない。特に、化学や社会、古典などの知識。

 では、無駄だったのか。一部無駄な部分もあったであろう。やはり興味のないものを無理やり詰め込んでも抜けていってしまう。しかし、今でも(大学生)ためになったと思うものもある。以下でそれらを紹介する。

 

数学に困らない

 世の中には、数学に苦手意識を持っている人が多数いる。彼らの多くは文系に逃げてしまい、人によると数学の勉強をほとんどしないで、受験を終える。一方私は、数学をかなり勉強したので、計算や、考え方、公式などを人より多く知っているので、趣味のプログラミングやゲーム制作をするときに大いに有利に立てる。

 そういうギークっぽいことをやらなければ、関係ないのではと言われれば、それは正しいかもしれない。しかし、何かを始めようとしたときに出鼻をくじかれないのは助かる。物作りや、企画職などをやりたい人は最低限は身に着けた方がいいだろう。

 

 英語の情報を得られる

 ほとんどの日本人は英語が理解できない。単語、文法、文章、どれをとってもチンプンカンプンな人は多い。そういう人は、偶にゲームで英語の文章が出てきて、何だこれ、と思うくらいなのかもしれないが、英語ができることで得られるメリットはより多くの人が享受するべきだと思う。

 私が一番ありがたいと思うのは、世界中の情報について知れることだ。先程も言ったように私はプログラミングやゲーム制作をやっている。その時に、日本語では出てこない情報というのもあるのだ。幸いなことに日本というのは、わりかしそういう情報も豊富にウェブに揃っているが、開発元はほとんど海外の企業であるし、英語がスタンダードなので英語ができることは強みである。

 他にも、趣味のボルダリングのトレーニング方法で、知ってから毎日実践する程の素晴らしい情報にも出会えた。僕が英語に疎くて、英語で検索をしなかったら絶対に出会えなかったので、幸運であった。

 

 最後に

 やはり、勉強したことは、役に立たせる方法はあるのだ。それを生かすも殺すも自分次第であるという見方もあるし、いつか偶然役に立つ場面に出くわすということもあるだろう。

 しかし、逆の見方、即ち、やりたいことがあるから勉強するという考え方の方が自然だし、効率が良いと思う。やりたいことがあったら勉強しよう。勉強は大変だが、素晴らしい。

 

 

 

今の時代、大学に行く意味ってあるんですか?

 いきなりだが、私はかなりハイレベルな大学に通っている。もちろん毎日難しいことを理解し、記憶し、レポートを書くなどの作業もしている。それに、大学に入るためにも、かなり勉強した。高3の後半は、毎日図書館にいって、開いてから、締まるまで、昼ご飯とトイレを除いて、ずっと勉強していた。つまり、時間と労力、そしてお金を大卒資格のために割いてきたのである。(そして恐らくこれからも)

 

 しかし、その大変な労働は卒業では終わらない。いや、卒業とともに本格化する。

勿論、多少なりともホワイトな企業に就職できるであろうが、仕事となれば、大学生の時のように60点で赤点さえとらなければいいという話ではないだろう。お金をもらうからには、100点を提供しなければいけないだろう。

 

 なぜ好きでもないことに、時間と労力を割かなければいけないのだろうか。そして、なぜ多くの人間はそのような人生を望んで、険しい大学の道へ行くのだろうか。勉強が他の人よりもできるということは、やろうと思えば他のことでも成果を出しやすいということだろう。そのような人間が、お金の為だけに、やりたくもない勉強を自分に強いて、やりたくもない仕事に縛られてい生きていかなければいけないのだろうか。

 

 思うにそれは、自分自身と十分に向き合ってこなかったからであろう。第一に自分の好きなことは何なのか、次に、自分の強み、弱みは何なのか。これを常に自問自答し、好きな方へ、得意な方へと自分の人生を向けていく努力を怠ってしまったからなのだろう。

 

 もちろん勉強が好きな人は大学にいって、とことん勉強すればいいだろう。高校とは全然違うレベルのことを提供してくれるだろうし、いい大学に行けば、研究設備だって整っている。

 しかし、本当に勉強が好きな人などほとんどいないだろう。「勉強」という名の競技が好きなだけであろう。僕もあの競技は好きであった。受験はゲームであるということは自覚していた。しかしながら、その先のことを考えずに、そのゲームに没頭してしまったことを後悔している。